当店がお世話になっている、神楽坂のミニ情報をお伝えします。
まず手始めに、「本多横丁」です。
我が本多横丁は、「神楽坂最大の横丁」と言われていて、飲食店を中心として50軒以上の店舗が軒を連ねています。
八千代鮨が昭和43年に開店した頃は、乾物屋、お菓子屋、薬屋、足袋屋、お茶屋、またビリヤード場もありました。神楽坂通りを少し歩けば、肉屋、魚屋など日用品はひととおり揃い、メモと買い物カゴとがま口を渡され買い物に行かされました。 昔は、お店の人も子供が買い物に来ると良くサービスをしてくれたものです。そして、親同士は良く知っているので、下手なものを売りつけたり、ボッたりすることは出来ませんでした。そのような環境の中で、自然に子供も大人も顔見知りとなり地域の交流となっていたと思います。 |
![]() ちょっと脱線してしまいましたね。 |
「本多横丁」の名前は、江戸中期から明治の初期までこの通りの東側全域(上の写真の左側)が本多家の屋敷であり 「本多修理屋敷脇横町通り」と呼ばれていたことに由来しています。 神楽坂をよくご存じの方へは五十番−ラツール−ソリッソ−サークルKを結んだ敷地が本多家の敷地だったと言えば 解りやすいでしょうか。当時は、西側にも武家屋敷が建ち並んでいたと言うことです。 この本多氏は一万五百石の大名格の武家と伝えられています。神楽坂界隈で知られる商店街として発展し、関東大震災後から昭和初期には神楽坂通りに連日夜店が出て 「山手銀座」と呼ばれる賑わいを見せ、この横丁も多くの人々に親しまれるようになりました。
第二次大戦の末期には神楽坂界隈も空襲により焼土と化しましたが、いち早く復興も進み一時期
「スズラン通り商店街」と呼んでいましたが、「本多横丁」の旧名復活を期して商店会も発足されました。 |
今の本多横丁は、飲食店中心の商店街となっております。どの店も個性的で魅力的な商売をしております。
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